夢モデルわくわくストーリー

選手の逆境(ぎゃっきょう)のときこそコーチの責任(せきにん)と力が問われるとき 大学教授(きょうじゅ) 具志堅 幸司さん 日本体育大学・教授【元・体操オリンピック選手】

具志堅 幸司さん

わくわくして体操選手になり,ドイツ留学(りゅうがく)を機にコーチに

体操を始めたきっかけは,小学校6年生のときにメキシコオリンピックの体操【日本代表の加藤(かとう)澤男(さわお)選手】の演技(えんぎ)をテレビで見て感動したことでした。中学に入るとすぐに体操部に入り,高校,大学と体操をつづけ,1984年(昭和59)ロサンゼルスオリンピックに出場し,個人総合(こじんそうごう)とつり輪で金メダルを取りました。翌(よく)年の世界選手権(せんしゅけん)で選手を引退(いんたい)したのは,試合でどきどきしなくなっていたからです。そのあと,指導(しどう)方法を学ぶため,体操の発しょうの地・ドイツに留学しました。安全に配慮(はいりょ)した設備,環境(かんきょう)にも目が開かれました。体操の文けんはほとんどドイツ語でしたから,指導の研究をするためにもドイツ語を学ぶ意味もありました。2年間ドイツで学んで自信をつけ,これから若(わか)い人を指導(しどう)しようという気持ちで帰国し,本格(ほんかく)的にコーチの仕事を始めました。

逆境でもあきらめないことを選手から教わった

2001年(平成3)秋に,日本体育大学の世田谷(せたがや)キャンパスが火事になり,わたしが指導してきた体育館が焼け落ちてしまいました。選手たちの練習場所がなくなり,わたしが車を運転して東京都北区(きたく)赤羽(あかばね)の近くにある国立スポーツ科学センター【JISS】の体育館まで練習に通うことになりました。日体大からJISSの体育館まで東京の都心を通って往復(おうふく)3時間半〜4時間かかります。それに対して練習時間はたった2時間半しかとれませんでした。移動(いどう)時間のロスで競技(きょうぎ)力が落ちてもしかたない,とわたしはあきらめていました。ところが,水鳥(みずどり)寿思(ひさし),中瀬(なかせ)卓也(たくや)といったオリンピック級の選手たちがそこから育ったのです。かれらは行きの車の中でその日の練習で何をするかイメージトレーニングをし,帰りの車でその日の自分の演技の反省をしていた,というのです。かれらは逆境の中で,考える練習を始めていたのです。あとでその話を聞いて本当に感動し,かれらから教えられた,と思いました。わたしは日ごろ「あきらめるな」と言ってきたのに,それを忘(わす)れ,かれらのほうがそれを実行して,わたしに試合結果としてそのことを証明(しょうめい)してプレゼントしてくれたのです。

小学生のころに好き
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  • わくわくしたこと:運動会
  • 得意だったこと:野球の守備(しゅび)【セカンド】
  • 好きだった教科:体育
関連情報 日本体育大学
JOC北京オリンピックサイト

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