
短期間で完結させるみりょく

仕事中の森さん
小学生時代から作文が得意でした。最初はその得意分野を活かして放送作家になったのですが,そのあと,同じ業界の人にしょうかいしてもらって,作詞の仕事をするようになりました。作詞の仕事はランナーにたとえるとマラソンではなく,短きょり。短い期間で書き上げることが自分に合っていると思ったのです。そして,自分の作詞した曲がテレビなどで歌われると,作詞者のところに名前が出るので,両親にどんな仕事なのか伝えやすいと思ったことも作詞家になりたいと思ったきっかけのひとつでした。
企画力が発揮(はっき)できたときのうれしさ

タレントさんとの企画などにより生まれた作品たち
作詞家という職業(しょくぎょう)には企画力や考える力も必要です。企画を思いつくと,早く仕事にしたいと思い,わくわくします。たとえば,1997年(平成9)から99年まで活やくしたウッチャンナンチャンの南原(なんばら)清隆(きよたか)さん率いるブラックビスケッツの曲。ナンチャン【南原清隆さん】は,わたしのよきプロデューサー的存在(そんざい)で,いつも世間話をしながら,詞を書くヒントをあたえてくれました。「タイミング」という曲の場合,前の曲「スタミナ」につづいて,「人間に必要なものシリーズ」第2弾(だん)として発売されることに。最初,わたしは「タイミングを合わせていこう」という内容(ないよう)の詞を書きました。でも,それでは何だか当たり前すぎておもしろくない。そんなとき,ナンチャンが「ブラックビスケッツのメンバーのビビアンはいつも間の悪いところがある。でも,無理して人に合わせない方がつらくないかもしれないよね。かえってズレた間の方がいい場合もあるし」と話してくれて,「なるほど」と思い,それを詞にしました。こんなふうにして,何気ない会話やできごとがきっかけで作品が誕生(たんじょう)すると楽しいですね。
5万人の観客がコンサートで自分の詞を歌う

森さんが手がけたSMAPのヒット曲のジャケット
「ダイナマイト」「シェイク」など,SMAP(スマップ)の曲も何曲か担当(たんとう)したので,1990年代の半(なか)ばごろに東京ドームで開催(かいさい)されたかれらのコンサートに行ったことがあります。わたしは招待(しょうたい)されて会場にいたのですが,集中してコンサートを聴(き)いていました。やがて,ふとふり返ると,5万人ものお客さんがわたしの作った詞をSMAPといっしょに歌ってくれていたのです。ファンの人たちはわたしの作った歌詞を全部覚えてくれているんだなと感動しました。わたしの作詞した曲が入ったCD(シーディー)をお金を出して買ってくれる人がいることに感謝し,この仕事をやっててよかったと実感したできごとでした。
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| 関連情報 | 森浩美オフィシャルサイト |



